【 戸井田さんのレポートです 】
2019年11月03日

The 88th 浅間ミーティング
浅間記念館開館30周年あの頃のバイク、あの時乗って来たバイク



降りしきる雨の中、真新しい記念館を見上げながら、何時終わるとも知れない来賓の挨拶を合羽に当たる雨の音とともに聞いていた。

やっと来た開館の合図とともに、全員で長い長いオープニングテープを、配られたゾーリンゲンのハサミでカットすると、それまでの雨が上がって青空に虹が架かった、1989年5月21日、第27回の浅間ミーティング。



あれからもう30年。あの頃のバイク、乗って来たバイクが今回のテーマです。

1・MOTOGUZZI ASTORE   498cc 1949年



モトグッチ、鳥さんSERIESの長兄?大鷹さん。バイクについてはこのBlogの85回デレガンスの記事に詳しいけれど、記事にするのは何回目だろう?



雨のミーティングの帰り道。電装系のトラブルを起こしたアストーレと峰の茶屋付近で、初めてお話しさせていただいて以来オーナーさんとは結構長いお付き合い。

ダンディなオーナーさんは、看板賞の常連さんでもあります。

2・BMW R100RS 1000cc    1980年



R100RSは大きく分けて、1976年の生産開始から1984年の生産終了までの第1世代と大改良を受けて生産再開された1986年から1992年までの第2世代に分けられるけど、第1世代だけでも、シフトペダルやらシリンダーやら細かく変更されていて、パーツ探しだけでも結構大変なのは、私自身が何時復帰出来るかわからない77年型サイドカーのオーナーなので良くわかります。



80年以降は、このモデルの様に主にグラフィックの異なる特別仕様車が沢山あります。その上グラフィックだけで無くカウルの形状が細かいパーツ類が違ったりするから大変です。でも、このバイク、綺麗に乗っていらっしゃいますね。音も素敵です。

3・YAMAHA RZV500R        499cc 1984年



当時のGP500クラスに出場していたヤマハのワークスレーサーYZR500 (0W61)の欧州向けレプリカモデルRD500LCの日本仕様。

 ワークスレーサーはあのケニーロバーツも開発に苦戦した難物だったようですが、このバイクにも「限定解除」という難関があったようです。NS400RやRG400Γと競争しなきゃならない上に高かったもんなあ。



「V4」と高らかに歌っていますが、実は前バンク2気筒と後バンク2気筒がそれぞれ独立してクランク軸を持ち、2つのクランク軸に前後から挟まれる形でバランサーシャフトを内蔵した出力軸が置かれていという2軸クランクの構造で、前2気筒がクランクリードバルブ式、後2気筒がピストンリードバルブ。だから、実際には50度傾斜のスクエア4。ということになります。前2気筒のエキパイは、普通に前から下を回って出ているけど、後ろ2本は後方排気でリアサスのリンクやウインカーを避けなくちゃならなくてかなりややこしい配置。

 その昔、このバイクをこよなく愛するお姉様がいたりして、個人的には何かと思い出多いバイクではあります。

4・MOTOGUZZI LE MANSV          840cc 1985年



 ひょんなことから車椅子仲間になっちゃった、某コミュニティラジオのパーソナリティーをやってらっしゃるオーナーさんには申し訳ありませんが、ルマンと言うとどうしても思い出すのは中沖初代理事長。もっともあの黄色いグッチは、ベースがル・マンVだというだけの全くの別物ですが。

さて、プロダクションモデルのル・マンVはというと、750S3をベースに、開発された、ボルドール耐久で使っていたTelaio Rosso(赤フレーム) 850をベースにした公道モデルの850のル・マンシリーズ。

これが大人気となり、1978年にマークUへ進化。ちょっと癖は強めだけれど、耐久レース譲りの高速ツアラー。と言う性格がウケたんでしょうね。

これをさらにツアラーよりに性格を振ったのが、1981年に世に出たこのマークV。



その後排気量が1000ccになったりフロントが16inになったり戻ったり、紆余曲折をへて最終的にはマークXまで作られます。

実際に乗ってみると、プリッピングでは気になる、縦置きシャフトドライブ独特の癖は強めに感じるけれど,走り出してしまえばあまり気にならない、と言うか中高速コーナリングの気持ち良さで消えてしまう感じ。いかにも直線大好きな中沖さんお気に入りという感じです。

5・HONDA GB400 MkU      399cc 1986年



 1983年発売の250クラブマンに始まるGBシリーズの400cc版。HONDAは、RFVCシステムの、短気筒SOHC4バルブエンジンのバリエーションを沢山作っていて、XL250Sから、ファラオの600ccまでオンオフ両方で使われていました。



このMkUは、免許制度対策でGB500をスケールダウンしたGB400TTにハーフカウルやらシングルシートやらを装備したモデル。初めから1人乗り専用で、ビリオンステップはついていません。

世は正にバブル真っ最中。今だったら,アフターパーツに頼るものが、メーカーが始めから装備し、多少高くても売れると踏んだのでしょうね。

6・YAMAHA  TZR250         249cc 1988年



 HONDAのNS250R、SUZUKIのRG250Γ、YAMAHAのTZR250と言えば、250レーサーレプリカワークス対決。ハイスペックなモデルほど売れた時代でした。



この第1世代「前方排気」もレーシングマシンTZRの公道仕様。最高出力こそ自主規制上限の45psという事になっているけどこれは全メーカー一緒。実際どのくらい出ていたのかはナイショだよ。って事になってました。ただ、コンピュータデバイス満載のため、きちんとメンテナンスするのが難しく、スペック通りのパワーが出ていない車体も多かったそうです。

7・HONDA    VFR750R(RC30)       749cc 1988年



 バイク乗りの夏の祭典と言えばなんと言っても鈴鹿の8耐。この時代の8耐と言えば、4スト750ccTT-F1 RVF750とワイン・ガードナー(メチャクチャな人だったらしいけど。)でも、RVF750のレプリカモデルは存在しないんです。TT-F1自体が市販車ベースという事になっているけど、RVF750のベースとされるVFRには、純スポーツモデルは存在しません。となれば、レプリカ作ってよ。って事になるのだけれど、HONDAは作らなかった。



 じゃあRC30は何かというと、プライベーター向けの純レーシングマシンだったんですね。実際英語版のウィキペディアには「ホモロゲーションモデル」って書いてあります。だから外観だけで無く、中身もレーサーそのもの。チタン合金製のコンロッドや、クロームモリブデン浸炭鋼製のカムシャフトや、異形5角形断面のアルミ製フレーム、片持ちのプロアーム等々、公道を走るには必要の無いパーツ満載で市販価格も当時の750ccクラスの倍はしました。

 本当にバブルの時代はよかったなあ。皆気が狂っていたけどね。

8・YAMAHA  DT125R         124cc 1988年



ヤマハのトレールモデルで125と言われると、AT-1?と思ってしまうのがおっさん世代ではありますが、もちろんこれは全くの別物。水冷の123ccから22psを発生。サイズや外観は姉妹車のDT200とほぼ一緒。このクラスには、もっとパワーのあるモデルもあるけど、とっても使い勝手が良いらしく、人気のモデルとなっています。



 実際、浅間の名物会員の1人であるオーナーさんも、最近は何処へ行くのもこればっかりらしいですよ。ところで、着ているこのトレーナー。なんだかとっても懐かしいと思うのは、私だけ?

9・SUZUKI SX125R  124cc 1989年



 SUZUKI SX125Rと言われても、正直ピンと来なかったんですが、ジェベル125の先行モデルなんですね。ここまで書いて来たように、この年代のバイクはとんがったのばっかり。その中ではとっても地味なモデルで、ある意味レア車。パワーハは無いけど、軽めの設計のデュアルパーパスモデルは、そツーリングや、通勤バイク的な使い方の出来る貴重な存在だったんでしょう。TZRで通勤するのはちょっとつらいものね。



 それはそうとして、スズキのネーミングルールってどうなってるんでしょうね?後継車はジェベルだし、現行のSXは4輪だし、Gが付くといきなりトンガチャって刀になっちゃうし。

さて、今回はテーマがテーマなので、思い出話っぽくなっちゃいました。m(._.)m。

それじゃ、30年前お前さんは何乗ってきたのよ?って言われそうなので、バラしてしまうと。CBXの6発で来てました。そのCBXは、震災で足回りがダメで動けなくなり、その後の私の健康の問題もあって眠っていたのですが、現在新オーナーの元でレストア中です。いずれこのBlogで紹介できる時が来るかも知れませんね。

終わる