1.趣旨

 わが国の二輪車の歴史を語る時に、「浅間」を語らないわけにはいきません。それは1955年から1959年にかけて、国産車の性能向上を図るレースがこの地で行われたからです。1950年代初頭の国産車は窮乏のなかで庶民の生活に欠かせない輸送手段として使われていました。つまりトラックの代わりとして酷使されていたのです。メーカーも150社以上が乱立、作れば売れることから品質劣悪といったものが多く見られました。性能は、外国車に比べると著しく劣っていたために外国車の進出が目立ち、せっかく緒についた国産車生産に危機感が生じました。有名なイギリスのマン島TTレースのようなレースを行うことで、国産車の弱点と欠陥を洗い出し、耐久性向上をはじめレースによって品質向上を目指すという方法がとられました。
 第一回のレースは1955年11月に北軽井沢をスタートし、国道146号線などの公道を閉鎖して行われこれが「第一回浅間高原レース」として知られたレースなのです。第二回のレースは1957年10月に新設の専用コースで行われました。第三回は1959年8月に開催。
 いま、世界一と言われる、わが国のモーターサイクルの基礎は、過酷な条件の下で行われた「浅間」で培われ、育ったのです。当時、200に近かったメーカーも現在は4社が残るだけ、という事実からもわかるように「浅間」は、素晴らしいマシンとライダーを育てた原点であり、故郷なのです。
 そして、多くのドラマを生んだコースは茫々の中にその歴史を埋没させつつあります。

 現在、日本のモーターサイクルが世界を席巻していますが、1950年代のいわば国産車の揺藍期のころの実車がほとんど残っていないことと、世界一の生産国でありながら、そういった物を保存して歴史を伝える試みが成されていない現状を、憂慮しハード面、ソフト面、両方の確立を、地域・モーターサイクル愛好者・メーカー等が協同してこの事業を展開することが必要と考えます。

 浅間ミーティングクラブは結成から31年を経過し、毎年加入会員より積立を行い浅間記念館建設資金として1988年に3,000万円を群馬県長野原町に対して目的指定寄付を行いました。翌年1989年5月には浅間記念館(モーターサイクルと関連資料を展示)が町営の施設として開館。現在も開館以来継続して浅間記念館の企画、運営、維持管理作業をしています。また、クラブ設立以来より地域活動とし、大型モーターサイクル、サイドカーによる交通安全パレードへの協力。災害・救援活動として、発電機の寄贈、災害見舞金の拠出、献血活動協力で群馬日赤より銀賞授与など。
 これまでのモーターサイクルを通して行っている取り組みをより発展させ、モーターサイクルとライダーに対する社会の理解を深め、浅間記念館維持管理を通じ歴史、文化の継承。地域社会に対する活動を広く一般市民と共に協同事業としておこなうものです。

 設立については、まちづくり、学術、文化などの振興をを図るため幅広い領域で活躍するべく、任意団体ではなく法律上の権利義務の主体と認められる人格のある法人格とし、銀行口座の開設、電話回線、公共料金等の法人名義による契約締結が可能になり、責任の有る立場で歴史を伝え、今日を語るために。また地域により貢献するために公益性の高い、開かれた法人格を取得し広く個人、団体に呼びかけるために当法人の設立をめざすこととしました。


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